2011年6月20日月曜日

チュニジア・ジャスミン革命からの帰国 1

2010年の9月〜2011年の1月までアラブの歌を勉強する為にチュニジアのチュニスに滞在していました。半年以上の滞在を予定していましたが、アラブの民主活動(アラブの春)の発端「ジャスミン革命」が起こった事により緊急帰国することとなったのでした。ということでその時の日記をつれづれと書いておこうと思います。無事に帰国した今となっては「いい経験したな〜」と言えますが…当時は必死でした!(。・3・)。
ナブールのモスク
2011.1.09
チュニジア人の一家のお宅へお邪魔した時にそこにいた人からチュニジアのどっかで一人の男が死んで暴動があったと聞いた。でもその事はメディアで全く報道されていないという。不自然だ。そしてチュニジア人の間ではネットを通じてその事件は知れ渡っているとの事。へー。
2010年12月ル・クラブ・バシュラフ・チュニジア公演「ナブール地中海芸術協会設立記念コンサー
2011.1.10
歌のレッスンの日。いろいろあって疲れた。部屋に戻ってメールを見たら良いニュースが!!嫌な事もあれば良い事もある。ナブールでのコンサート主催者のアドナンさんからのメール。私たちのコンサートの記事がまた他の新聞に掲載されたそう!アラビア語新聞の「Al Gyomhoraya」だ。さっそく近くのスタンドで沢山買った。うんうん皆とても良い笑顔で写っている。うれしいっ!これで私たちの記事が Le Temps紙,Le Quotidien紙そして Al Gyomhoraya紙、チュニジアの3つの新聞に載った事になる。[クリックで新聞記事を見る。]そういえば、コンサートなどの平和な記事はちゃんと報道されている事になる。音楽やってて良かったvvv 昨日の[報道されない事件]の話が頭をかすめる。

2011.1.11
今日はレッスンがない日。日本の知り合いに新聞に載った良いお知らせをしようと手紙を書いて郵便局へいく。帰りにモノプリ(スーパー)へ行ったら閉まってる!な んで!?そんでマガザンジェネラル(スーパー)へ。いつもより人が少ない。いつも男達でごったがえすお酒コーナーが閉まってる、、。なんで、、!?※金曜でもないし閉店間際でもないのに。なんかヘン。(※チュニジアではイスラムの礼拝の金曜はたいていのスーパーや飲食店でお酒が買えなくなる。)
チュニス、ハビブ・ブルギバ通りのシンボルの時計台
2011.1.12
レッスンの日。なんとレッスン3時間もやってくれた、、!全力でレッスンを受けへとへとになる。久々に先生宅でランチを頂きながらテレビを見る。
チュニジア料理のクスクス。byベッサ先生の奥さん。
大勢の人がチュニジアの旗持ってなんかのデモか?ってこれってあの報道されてなかったてゆう暴動じゃん!ついに報道されたか。死者もけっこう出たらしい。そりゃあ大変だ。なんか怖いしランチを終わらせそそくさと帰る。買い物はしなくちゃとマガザンジェネラル(スーパー)に行ったら閉まってる!モノプリ (スーパー)も閉まってる!日曜日でも開いてるようなスーパーが閉まったりしてなんかおかしいぞ。。。。。あれ、もしかして、そうか暴動の影響か!、、、なんかめんどくさそ。しかたなく小さな売店でとりあえず水を買う。空もどんより曇って嫌〜な感じ、、。夜ネットで英語のできるチュニジア人とチャット。地方の暴動の波 がチュニスにも来たとかベンアリ大統領の独裁政権に国民の反感がある事を知る。なんか大変な事になってきた、、。
ホテルの近くで咲いていたブーゲンビリア。
2011.1.13
今日はレッスン無い日だからとゆっくり起きる。昨日の英語のできるチュニジア人からスーパーやってるよ!とメールが来てる。わーい!と嬉しくなって鼻歌どころかでかい声でちあきなおみと聖子ちゃんと※Hedi Jouini をメドレーで歌いながら支度していざスーパーへ!いつものモノプリ(スーパー)についたー。と思ったら!目の前でシャッターが下ろされた、、、ガラス越しの中にはまだ買い物客がごったがえしている。ちょうど12時。午前中だけで閉め切っちゃうようだ。あーーー!くやしい!惨めな私!てゆうか早く起きればよかった、、、しくしく。スーパーに入れた買い物客が羨まし過ぎてしばらく眺めるもむなしく、、、。それでもなにか食べ物を買わなくてはいけないので、小さな売店求めてとりあえずハビブ・ブルギバ通りまで出て〜びっくり!迷彩柄した軍隊の車!うじゃうじゃ警察!つい先日前チュニスの風景からうってかわって緊迫してる、、、。コワ〜。でっかい戦車や無数の警察をすり抜けながら売店をはしごして 水、ヨーグルト、牛乳を購入。銀行でお金も多めにおろしておく。※(Hedi Jouini はチュニジアの国民的歌手・作曲家1909年〜1990年)
街のあちこちで見かける青いフェンスと窓枠。
思えば事件の発端はすでに12/17に起きていたとの事なのでナブールでのコンサートを無事に終える事ができたのは幸いだった。明日は一応コンセルバトワール(音楽学校)の授業があるはずだがどうなる事やら、、。個人レッスンは土曜日の予定。日本にいても海外にいても今までこんな不安を感じた事なかったなあ。あたりまえの日常生活ってありがたいのだと実感。メールをみたら在チュニジア日本大使館からメールが来てる。夜間外出禁止の発表があったそうだ。pm20:00〜 am5:00は外にでちゃダメ。ってデモする人はそんなのきかないだろうな。外が騒がしい。はっきりは聞こえないけど道一本隔ててけっこう人集まってる。 デモやってるな、、、。コワいから寝よっと!!(←ちゃっかりぐっすり寝れた)
2011.1.14
今日もレッスンない日。昨日の晩にちゃっかりぐっすり寝れたので早起きしてシャワー入って、久々にネイルカラーまで塗ってサワヤカ〜な朝を過ごす。案の錠 コンセルバトワール(音楽学校)も休み。こんな時に学校を開ける訳ないか。道に戦車だもん!ちなみに今日はコンセルバトワールでテストの予定だったけど先延ばしになってちょっと嬉しいw 日本にいるゾルゲルプロの相方が心配して連絡をくれた。日本の普通のニュースであまり報道されてないらしく知らない人が大半なのに情報キャッチして心配してくれてありがたい。チャットであーだこーだと近況を報告。すると電話が鳴る。先生の奥さんだ。「ナオ!家に来て!」いつもならちょっとめんどくさいって思うんだけど、この数日食料が手に入りづらくなっていたし「ご飯もらえる!!」つーことでちゃちゃっと支度してホテルを出る。道に出たらワーーーーオ!人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人(ひと ひと ひと ひと、、、、)人がいっぱい!!
ハビブ・ブルギバ通りのデモ(もちろん自分撮影)
チュニジアの赤い旗持ってる人が点々といる。これぞデモ行進だ。でっかい声あげて派手に行進してる人の群れはけっこう先にいる。私のホテルから2分 ほどのチュニジア領事館前で「ベンアリ出て行け!ポリスもこっち来いよ!」っと言っていたらしい。たしかにポリスもいち国民だ。群衆がまばらになってきたところをぬけて先生宅へ向かう。無事到着してテレビニュースを見る。ご飯はまだ調理中。先生の奥さんや娘さんが「ベンアリより彼の妻と家族が悪いのよ。でもこれで食料や薬が安くなればうれしい。」と言っている。すると窓からですごい数のデモ隊が声を上げて近づく音がする!皆でベランダへ。デモ隊を見下ろす。この近辺を徘徊しているみたい。ここ3階だし大丈夫かなと思ってカメラで撮ろうとしたら奥さんが「あぶない!警察は写真を嫌うからスナイパーに撃たれるっ」って。一瞬びくっってしたけど冷静になれば騒いでもない外人が撃たれるわけないんじゃない!?けっきょく撮影成功↓
デモへ向かう人々。パリ通りを見下ろして。
ご飯を頂いたのでホテルへ戻るためパリ通りへ出る。すると背後からまたデモ隊が近づく音がする!巻き込まれたら危険だからと小走りでホテルへ急ぐ。 あれ?気づくと私はまわりを歩いているチュニジア人たちは私とは逆の方向に進んでいる、つまりそこにいるほとんどのチュニジア人はデモ隊へ向かって行くのだ。一人の男もいれば友達同士、カップルもいて皆の表情は明るく楽しそう。なにかお祭りに行くような顔をしている。そうだ、今回のデモは国民の平和運動だったんだ。

チュニジア人の波に逆らってホテルの部屋についた。チャットでLe Club Bachraf のお二人とお話をする。彼女達はつい先日日本へ帰っており、今回のデモに巻き込まれずに済んだ。現地にいる私より情報収集が早くいろいろと教えて下さる。※フランス語のラジオでニュースを聴いておられるようだ。さすが、、!!そうしてる間にも外からはデモの声。なんか昼頃より迫力が増して来たなあ〜と思っていたら私のホテルの真下にも人の群れが来た。すると!ババババ、、、バンッバンッバンッ!!爆発音が!!そしてキャー!だのウオー!だの人の 叫び声!、、、「The 恐怖」窓から道を見下ろすともくもくと白い煙そして逃げる人々。あわわわわ〜映画の戦争みたい〜〜〜〜ひ〜〜〜〜〜やだやだ〜〜〜〜怖いよーーーーう、、 窓の外をおそるおそる覗いてみると、そのもくもくと白い煙はホテルの真下のそんな大きくない路地からが上がっている。え?なんか燃えてんの!?と思って窓を明けてみたらなんかすこし火薬臭い!とたんに鼻の内側がひりひりしてきた。「ひゃ〜、これって催涙弾だ、、」ひー!あわてて窓にある洗濯物をとりこんで窓と窓枠とカーテンを閉める。チュニジアどうなちゃったの、、、。先生宅から部屋に戻るのがもう少し遅れてたら巻き込まれていたかも、、。怖い。悲しい。さっきパリ通りをニコニコしながら歩いてたチュニジア人達にとってもやはりこれは祭ではない訳だ。政府と戦っているんだ。※(昔フランス領だったのでチュニジアの第2言語はフランス語)
領事館前の建物ではためくチュニジア国旗
この日[2011.1.14]の夜にベンアリ大統領は国外に出た。チュニジアのベンアリ独裁政権幕を下ろす。アラブ界では初の民衆のデモによって大統領が追い出された事件だそうだ。その名も「ジャスミン革命」革命ってゲームの世界だけじゃなかったんだ!見れなかったYouTubeも見れるようになってる。


2011.1.15
朝10:00ちょっと過ぎ。食料確保にいかなくては。ホテルの窓から路地を見渡すとちらほら女性も一人で歩いていたので警戒しつつもひとまず外へ。やはり人の集まりやすいモノプリやマガザ ンジェネラル、カールフールなどの大型スーパーは閉まっており、個人の物売りが集まる中央市場へ。品数は少ないものの果物野菜デーツなどが並ぶ。人も思った程多くなくスムーズに購入できた。卵屋もやっていてバラ売りもしてくれた。でも水が売っていない!
チュニス近郊の港町 ハルキルウェードの美しい窓枠。
 正午になり、今日も先生がレッスンしてくれるとの事なのでホテルを出る(食料をくれそうだし)なんとハビブ・ブルギバ通が通行止め。カーキーの戦車がズドンっと道に居座っている。困っていると警察がきて行き先をきかれてパリ通りの友人の家に行くと言ったら「ここまで迎えに来てもらいなさい」といわれ先生の奥さんに迎えにきてもらう。道にはゴミや瓦礫がたくさん散らばっていたりなにかを燃やした黒い跡がコンクリートに焼き付いている。最近できたばっかりのこ綺麗な電気店や携帯屋のショーウィンドウは壊され焼かれ、商品は盗まれ空箱が無惨に転がっている。混乱をいい事に好き勝手やる人間って必ずいるんだな。居たたまれない気持ちになる。メトロ駅のガラスの宣伝ボードなども割られて強化ガラスがこなごなになっている。たった一晩。ホテルから数十メートルの通い慣れた穏やかだった道でこんな事が起きていたんだ。レッスンが終わり帰る時、水はどこかで買えますか?と先生宅で聞くとパリ通りの突き当たりのリベルテ通りというのでリベルテ通りへ。日本語学校もあって品いいはずのリベルテ通りも一変して瓦礫やゴミが転がり、行き交う人々は消え、代わりに武装した警察が点々といる。リパブリック駅のすぐ近くの小さい売店がちらほら空いていた。お菓子と携帯のチャージカードを買う。売店の水はどこも売り切れで、ちょっと離れたおやじ達のたむろするカフェでちょっと高い1.5ℓを2本買う。こんな時でも真っ昼間から水たばことコーヒーでたむろするおやじはいる。

15:00に無事帰宅。空きペットボトル訳10本に水道水を詰めて断水対策!バタバタという音で窓を見るとカーキー色のヘリコプターが通りすぎてゆく。快晴の青空の下でさえずる小鳥の声とはあまりに対照的。部屋でインターネット&知人と情報交換。深夜になっても どこからかヘリコプターの音が聞こえてくる。この混乱まだ続きそう、、、。さすがに寝付けない。日本に帰らなくては、と思う。

私の暮らしていたホテルの部屋。(一日中鳴り響く銃声とヘリコプターの音の中で撮影)
2011.1.16
歌の先生の奥さんが先生宅でのランチにさそってくれるが外怖いし断る。他の友人の一家にも買い物いこうよっとか誘われるが断る。買い物誘ってくれた一家も けっきょくあとから銃声がきこえたから今日はやめようだって、、、。ってゆうか現地人のんきすぎでしょ、、こんな日に外でたくないよ!!でもかまってくれ たのは嬉しかった。感謝。在チュニジア日本大使館に電話して日本行きの飛行機について相談する。最初の電話うけてくれた人はそっけなくて心配だったけど担 当の人になったら丁寧に対応してくれた。チュニス・カルタゴ空港のフライトスケジュールの見方を教わる。感謝。昼過ぎになったらずーーーっと銃声とヘリコ プターの音が鳴り止まない。怖くて窓の木枠も閉めてカーテンも閉めてドキドキしてた。そして銃声を記念に小型録音機で録音した。そしてそれをスカイプで友人に送ったりとかもしたw バタバタバタ、、、パーンーーー、パーーーーン、、、。

後からニュースをみたら住んでるホテルからものの数百メートルさきの 内務省前での銃撃戦だったとの事。恐ろしい、、。はやくこの国を出ようと強く決心。母とスカイプで会話。心配させてごめんなさい。情報集める為にずーっとネットをやる。部屋でネットができる3Gを持ってて本当によかった。30日チャージ制で期限もせまってたから支払い期限が今日じゃなくてよかった、、。フライトスケジュールをみるとやっぱり飛行機は今は国内しか飛んでないみたい、、、ああどうしよう。明日の事が分からないってこういう事なんだ。この日も朝まで鳴り響くヘリコプターの音で眠れない。頭の中は明日やるべきことでいっぱいいっぱい。
ホテルの窓からの夕暮れ。
2011.1.17
寝付けてないまま朝が来る。日本大使館に飛行機について問い合わせ。普段大使館で良く使っているらしい旅行会社を教わり問い合わせるが、私の拙なすぎるア ラビア語のせいもあるし担当者がいないだのなんだのでらちがあかない。姉とメール。ものスゴい心配している。あわわ。何度もフライト状況を見る。友人が政 府がチャーター便を検討しているらしいよ、と教えてくれるがあてにしてはいけないし。エジプトエアーのOPENチケットもってたのでエジプトエアーのペー ジも見る。あ!2本の臨時便が出ている!しかしチュニス・カルタゴ空港のページにはそのフライトが出ていない、、。やはり混乱しているからあてにならない。テレビのニュースでどの局もデモの報道をやっている。アラビア語むずかしくてわかんない、、、のでネットで英語版アルジャジーラをネット辞書を使いながら頑張って見るが目が疲れる、、、こんな時なのに集中力がない私、、、。とりあえずもう一回チュニス・カルタゴ空港のフライトスケジュールを見ると、、、、、、、、、「え!!??」エジプト航空カイロ行き14;30!?が画面に表示されている!!ほんの数分前までなかったフライトが出てる!!


そこから猛スピードで準備をしてホテルを出る。毎日会ってるホテルの掃除おばちゃんワヒーダと受付男のマルワンに飛行機乗れなかったら帰ってくる! またね!と言ってタクシーに飛び乗る!(コート着てたからバレないけど中はパジャマ)エジプト航空のOPEN チケットをもっているんだからどうにかなるかもしれない。ダメもとでも行って交渉してみよう。カウンターにほぼ一番乗りに着いて職員に言う。「私はOPENチケットを持っています。オフィスがやってなかったので予約ができなかった。今日乗せて欲しい。」職員が「ちょっとまってて、後で知らせる。」と 言うからヒヤヒヤ、、。何人かでちょっと相談したあとになんだか涼しい顔で発券してくれた!その時の嬉しさといったら!チュニジアの人達は「なんでもう帰るの?あと数日で安全になるのに。」と、なぜか外国からの見方と違うような事を言う。単純に私を安心させようとしてくれているのかもしれないけどチュニジ アでしか生きていけない人たちはそう言い聞かせることで自分達を安心させているのかなと思った。だって戦車が道にいて銃撃戦が昨日あって、、、数日で平和に なる保証なんてないでしょ!でも私のような情報収集の遅いのんびり人間からすると一見平和だったチュニジアから政府崩壊に至ったのはほんの数日の出来事 だった。そもそもこのジャスミン革命は、チュニス南部の小さな村で一人の少年が貧しい生活から抜出す事ができない政府のしくみに反発する為に焼身自殺を行なった事が 発端だった。それに共感する人間が携帯やインターネットを使い集結した。
カイロ国際空港のエジプトエアー
空港までのタクシーに乗った17日の昼頃のチュニジアは一見いつもの平和な街のようだった。それでも小さな売店やパン屋に人々の長蛇の列ができていて食料確保 の大変さが伝わってくる。会社のオフィスやスーパーもまだ閉まっていていかに警戒中であるかも分かる。無事に空港に着き、電話で歌の先生にさよならを言 う。直接会って言いたかったなあ、、、急に帰ってしまってごめんなさい!だってこれって緊急事態。飛行機は14:30発の予定より3時間遅れて17:30 頃チュニスを出発!
カイロの友人宅の窓辺から。
カイロに到着!同日の22:30。約3時間程のフライト。このときのカイロ空港の空気は穏やかだった〜。戦地から故郷に戻って来たような気分!カイロに暮らしている友人に電話をしたらなんと彼女が空港までむかえに来てくれた!!!混乱から逃がれてきた私には身にしみる優しさだった。嬉しくて調子にのってOPENチケットをカイロ1週間滞在にする。帰国予定1月25日!(ご存知この日がカイロで最初に大規模なデモの起こった日だったのだ、、。)
づづく。

こやすなほみ/Nao Koyasu
ناو كوياسو

 (❁•ुᴗ•)ु (ू•ᴗ•ू❁)
☆。・:*:・゚'★,。・:*:・'。・:*:・゚'★,。・:*:・゚'☆。・:*:・゚'★,。・:*:・'。・:*:・゚'★,。・:*:・゚
アラブアイドルこやすなほみ/NAO Arab Idol
こやすなほみ の歌手デビュー曲「夢幻境 (むげんきょう):中村泰士 作詞・作曲」の視聴はこちら!クリック→ (音楽工房 泰士)  

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